薬王堂気まぐれ通信使№841  2022-11-20
Yakuoudo Capricious Communications Satellite

11月20日(日曜日)、早朝5時45分発松山行きのシーパセオに乗船ります。
今日の行先は四国・高知にある横倉山(標高800m)です。
出発する宇品港はまだ暗い中でした。


松山港までの約2時間半、朝食を食べながらの船旅は快適でした。
呉を過ぎ音戸の瀬戸あたりから明るくなってきました。
倉橋島沖を過ぎると海原が広がり波が強くなってきます。
東の石鎚山系から朝日が昇り始めます。


石鎚山系が明るくなってきました。


中島沖


8時過ぎに松山港に上陸、今日は運転手付きのドライブです。
国道33号線に入り一路、横倉山をめざし車を走らせます。
途中、久万町の道の駅で休憩を取り午前10時半ころに越智町に到着します。
私は過去3回、横倉山に来ていますが最期は2003年8月17日のことで万年青年と一緒に来ました。
記憶は薄れていましたが印象深い箇所に来ると当時の様子を思い出すことが出来ました。
横倉山自然の森博物館を過ぎると急な登り道になります。
離合の難しい山道を約20分走り横倉山第二駐車場に到着、ここから登山することになりました。
本来、ここは修験の山でした。
古い石段を登りきると杉原神社に到着します。


杉原神社


ここはよく覚えていましたね。
軽く参拝を済ませ周囲を観察します。
道に迷いながらも落下した杉の小枝に着生したマメヅタランセッコクを見つけました。
以前にもマメヅタランムギランマツラン(ベニカヤラン)の着生を見たことがあります。
観察した植物を記録してみましょう!

キジノオシダ
タチシオデ
バリバリノキ
ホソバタブ
クリハラン
シシラン
ユズリハ
フユノハナワラビ
アオテンナンショウ
キジョラン
トチバニンジン 種が落下したあとの種柄 
トチバニンジンの根部を掘ってみました。
飲み水をかけて竹節部を観察し、後で土をかぶせておきました。


トチバニンジン


マムシグサ
イワガネソウ  葉裏(葉脈が所々接続する)
ヤマアイ
アマチャヅル
ハイノキ
ヤブニッケイ
ミヤマシキミ  
マメヅタ
などなど・・

やはり記憶は曖昧で道標に惑わされながらも横倉宮に到着します。


横倉宮


この辺りは石灰岩で出来ているのでどこに座ってもお尻が痛い
牧野富太郎先生が発見し命名したヨコグラノキがありました。
2001年8月13日に横倉山自然の森博物館で仕事をされていた山地先生に案内していただいて来たことがあります。
明治17年に牧野富太郎先生が発見され命名されたヨコグラノキは老木となり今にも枯れそうです。


ヨコグラノキ  2003年撮影



クサヤツデ  花蕾  2003年撮影 モミジハグマかと迷う?
クモノスシダ
ツルデンダ
クマワラビ
アケボノシュスラン
サンショウソウ
イワガラミ
ケンポナシ
フユイチゴ
などなど・・


同行者と



昔、この辺りでコオロギラン()やヒメノヤガラを見たことがあります。
その他、トサジョウロウホトトギス(花アップ)やヨコグラツクバネヤマジオウなど貴重な植物も観察できました。


トサジョウロウホトトギス   ※ 2001年撮影



下山後、午後4時ころから横倉山自然の森博物館に行ってみます。
1階ホールで牧野富太郎特別展を開催していました。
来年のNHK朝ドラでは「らんまん」と題し牧野富太郎先生の一生を1年間にわたり放送されます。
展示物を見てみました。
私の師である大塚敬節先生のご家族と親交のあったナウマンのことが書いてあります。
大塚医院で働いていた時にナウマン自筆の墨蹟があったこと思い出します。
山地先生の写真もありました。
杉原神社での思い出を詠んだ句牧野先生の若い時代から奥様の思い出など丁寧に展示していあります。


牧野富太郎先生
(※ 博物館に展示されてある写真や物品は撮影し掲示してもいいとの許可をもらっています。)

閉館間近までいた後、復路は寒風山トンネルを経由ししまなみ海道を通って尾道経由で広島に向かいました。
帰宅したのは午後の9時過ぎでした。
運転をしてくれた友人に感謝です。
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